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2014年08月16日

わがまちの知恵袋 『外記省吾』さん

まちの元気な年配者(知恵袋)を紹介します。
本日の知恵袋の方は、こちらの方です!
貴重なお話を聞かせていただきました。


外記省吾さん。
74歳。
富士宮市在住。
(公社)日本写真協会(PSJ)会員
全日本写真連盟関東本部副委員
フォトマスターEX検定・ エキスパート
  
 わがまちの知恵袋 『外記省吾』さん

現在、写真作家として富士富士宮を中心に活動しているが、カメラを初めて手に取ったのは、20歳のときで、写真機を扱うこと、風景を記録に残すことに興味があり、写真の芸術性や表現方法云々は関係なく写真を撮っていた。30歳で家を建て、当時は車も無く、遠出ができるわけもなく、365日、毎日自宅から見える富士山を撮りだした。当時、富士山の写真を富士宮市民展(現富士宮芸術祭)に出展し、教育委員会賞を受賞。2年後、カラーフィルムで撮った写真が市長賞を受賞。プリントの技術は写真屋さん同等であり、ここから、写真が趣味となった。さらに、当時、アサヒペンタックスのコンテスト(年4回)に応募し、入賞するとメーカーの商品券がもらえ、その商品券でメーカーの商品と交換できた。そのときは、新しいカメラを買う余裕がなく、5~6年かけて商品券をためて新たにカメラとレンズを購入した。当時、撮った写真が自分の生き様と考えていたが、その時の写真は、商品稼ぎはできるが、富士山や風景ばかり撮っていても何も残らないと感じた。そのようなとき、全日本写真連盟富士岳南支部で、「わがまち」という写真展をやっていて、軽い気持ちで見に行ったとき、展示されていた日常の風景を撮っている写真に感銘を受け入会。それから、日常の写真を取り出すようになり、支部内の年度賞は何度も受賞していた。写真技術を学校で学んだことはなく、自分の経験の中で学んでいた。昔から、写真を肌で感じ、自分の気持ちで撮る。そのような写真が好き。世の中には、肩書きはないけど、野菜を作らせたらすごい、家を建てたらすごい、そんな人がたくさんいる。そのような人たちと接するなかで、考え方や見方が変わると写真も変わる。そんな感じで写真を楽しんでいる。
 定年になったら、3つの生き方がしたいと思っていて、現在に至っている。3分の1が写真作家活動。3分の1が写真に関するボランティア活動。ボランティアでは、写真は自分のものであると同時に、伝えていきたいものと考えている。そして、残りが家族。現在は、写真とは関係ない活動が増えてきが、この想いは変わっていない。 
 今、思うこと。亡くなるというのは、その人の人生の終わり。今の自分との違いは、生きていること。それは、亡くなった人たちの知らない毎日を過ごしている。これは、大切なことで、生きていることを積み重ねているから。「お年寄り」という言葉は嫌い。元気に生きている人は次の日があり、有意義がなければ生きているとはいえない。我々は、年をとっているのではなく年を重ねている。生きていることは、生かされているとは違う。生きているとは、趣味でも喰うことでも、何でも自らの意思があること。それは、生かされているとは違う。自分の足跡を見たとき、これでよかったと思えればそれで良い。
 富士宮市の会合で、地域のお年寄りの面倒の見方等を話し合っている。面倒を見るとか遊ばせるとかではなく、お年寄りを何かを教わる先生とすれば良い。先生として、良き相談者として、年を重ねたてきたことを引き出せば良い。『姥捨て山』という話が全国にある。捨てられた年寄りの孫は、山に捨てられた意味が分からず、食べ物を運んでいた。そのうち、その孫は、問題が起きたら、捨てられたお年寄りに相談していた。すぐに良い知恵を授けてくれ、年配者は大切だと気づいた。その後、年寄りを大切にしようという雰囲気が生まれていった。
 現代は、一人暮らしの年寄りが増えている。これは、昔の姥捨て山と同じ。その人たちの知っていることを引き出せば、もしかしたら、この世の中が変わるかも。年寄りの面倒を見てあげるのではなく、教えてもらおう。
 『フォトセラピー』という言葉もある。年寄りに昔の写真を見せると記憶がよみがえり、脳の活性化になる。そのような治療法がある。ホームで遊ぶよりも、記憶を引き出す、知っていることや経験を引き出す方が良い。
 現代は、インターネットが普及し、分からないことはすぐにモニターの画面から検索して文字がでてくるが、その情報だけが全てではない。文字だけだと自分なりに判断してしまい、偏った知識になってしまう。年配者は若者の知らないことを知っているのだから、年寄りを先生とする。若者はそのような見方をするべき。
 『年を重ねる』。1年たったから年を重ねるのではない。年月が流れたではない。経過ではない。年を重ねるとは、いろんなことが、知恵が増えることである。

※「外記」とう名字について
 明治維新後、名字をつけることになったとき、ご先祖様が、お城の『外記』という役職についており、その役職名を名字にしたといわれている。『外記』とは、朝廷にかかわる儀式・公事の遂行に努める役職。



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