2019年05月12日
今日はなんの日?2019年5月12日は「母の日」
5月12日『令和元年』最初の「母の日」ですね。
母の日は、日頃の苦労を敬い、感謝の気持ちを表す日であり、カーネーションを贈るのが一般的です。 ではなぜ5月の第2日曜が母の日となったのでしょうか。 また、カーネーションを贈るようになったのはどんな理由からなのでしょうか。 誰もが知っている母の日がどのように生まれたのかちょっと調べてみました。(※あまり知ら れていませんが5月5日のこどもの日は、国民の祝日に関する法律第2条によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」が趣旨となっています。通じるものがありますね。)
日本の母の日はアメリカから?
母の日は世界各国にあり由来もさまざまですが、日本の母の日はアメリカ から伝わった風習です。
1905年5月9日、アメリカのフィラデルフィアに住む少女「アンナ・ジャービス」が母の死をきっかけに、「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と働きかけたのが始まりとされています。(この働きかけがアメリカ全土に広まり、1914年には当時の大統領「ウィルソン」が、5月の第二日曜日を「母の日」と制定し、国民の祝日となりました。)
また、母の日には、カーネーションなどを贈るのが一般的ですが、アンナの母親が好きだった白いカーネーションを追悼式の祭壇に飾ったことから、母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを飾るようになり、現在のように「母の日にはカーネーションを贈る」習慣が生まれたと言われています。
一人の少女の行動が国民の祝日にまで広がるなんてすごいですよね。
きっかけは、母を思う大切な気持ち
アンナの母であるアン・ジャービスは牧師の夫を早くに亡くし、戦争や病気で8人の子供を失いながらも残った二人の娘を女で一人で育て上げた強い母であり、社会活動家でもありました。
その活動は病気や貧しい人のための募金活動や食品検査、公衆衛生活動。
南北戦争時には中立を宣言するとともに、南北双方の兵士を看病したり、双方の敵意をなくそうと試みたイベントに南北双方の兵士や地域の人々を招くなどし大成功を収めるなど、女性の地位がまだ低かった当時のアメリカで社会改革にも貢献しました。
さらに敬虔なクリスチャンで日曜学校の牧師を26年間も務めていたそうです。
このような経歴を持つアン・ジャービスだからこそ、追悼式でのアンナの行為が社会的にも注目を集めたのでしょう。
母の日のはじまりはアンナが母を大切に想う気持ちから生まれたといっても過言ではないようですね。
また、カーネーションの花言葉が「母の愛」、「純粋な愛」と母性愛を象徴するものだったことも影響しているのではないでしょうか。
日本では3月だった母の日
日本で最初に母の日が行われたのは、明治時代末期と言われています。
それが大正時代になるとキリスト教会や日曜学校で徐々に広がっていき、昭和に入ると大日本連合婦人会が結成されたのをきっかけに、皇后の誕生日の3月6日を母の日と定めました。
この頃の日本の母の日は、今のように5月ではなかったんです。
当時の母の日はそれほど国民には普及していませんでした。1913年に青山学院で母の日礼拝が行われ、アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされています。
大日本連合婦人会が1931年(昭和6年)に結成され、その際同組織は皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としましたが普及しませんでした。
そして1973年(昭和12年)お菓子メーカーである森永製菓が「森永母の日大会」と称して、大々的な告知行い広めたことで全国的に認知され、母の日は各地に広まっていきました。
また、1949年ごろからはアメリカの例にならって5月の第2日曜日に行われるようになり、これが一般的となりました。もっと古くからあるイメージの母の日ですが、実際に日本で広まったのは最近の事なんですね。
アンナ・ジャービスのように思いを大切に、母親への感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。
※日本石材産業協会では、「母の日」は“母に会う日”と題して、「母の日参り」キャンペーンを応援!
先の別コラムでご紹介していますので、そちらも併せてご覧ください。
母の日は、日頃の苦労を敬い、感謝の気持ちを表す日であり、カーネーションを贈るのが一般的です。 ではなぜ5月の第2日曜が母の日となったのでしょうか。 また、カーネーションを贈るようになったのはどんな理由からなのでしょうか。 誰もが知っている母の日がどのように生まれたのかちょっと調べてみました。(※あまり知ら れていませんが5月5日のこどもの日は、国民の祝日に関する法律第2条によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」が趣旨となっています。通じるものがありますね。)
日本の母の日はアメリカから?
母の日は世界各国にあり由来もさまざまですが、日本の母の日はアメリカ から伝わった風習です。
1905年5月9日、アメリカのフィラデルフィアに住む少女「アンナ・ジャービス」が母の死をきっかけに、「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と働きかけたのが始まりとされています。(この働きかけがアメリカ全土に広まり、1914年には当時の大統領「ウィルソン」が、5月の第二日曜日を「母の日」と制定し、国民の祝日となりました。)
また、母の日には、カーネーションなどを贈るのが一般的ですが、アンナの母親が好きだった白いカーネーションを追悼式の祭壇に飾ったことから、母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを飾るようになり、現在のように「母の日にはカーネーションを贈る」習慣が生まれたと言われています。
一人の少女の行動が国民の祝日にまで広がるなんてすごいですよね。
きっかけは、母を思う大切な気持ち
アンナの母であるアン・ジャービスは牧師の夫を早くに亡くし、戦争や病気で8人の子供を失いながらも残った二人の娘を女で一人で育て上げた強い母であり、社会活動家でもありました。
その活動は病気や貧しい人のための募金活動や食品検査、公衆衛生活動。
南北戦争時には中立を宣言するとともに、南北双方の兵士を看病したり、双方の敵意をなくそうと試みたイベントに南北双方の兵士や地域の人々を招くなどし大成功を収めるなど、女性の地位がまだ低かった当時のアメリカで社会改革にも貢献しました。
さらに敬虔なクリスチャンで日曜学校の牧師を26年間も務めていたそうです。
このような経歴を持つアン・ジャービスだからこそ、追悼式でのアンナの行為が社会的にも注目を集めたのでしょう。
母の日のはじまりはアンナが母を大切に想う気持ちから生まれたといっても過言ではないようですね。
また、カーネーションの花言葉が「母の愛」、「純粋な愛」と母性愛を象徴するものだったことも影響しているのではないでしょうか。
日本では3月だった母の日
日本で最初に母の日が行われたのは、明治時代末期と言われています。
それが大正時代になるとキリスト教会や日曜学校で徐々に広がっていき、昭和に入ると大日本連合婦人会が結成されたのをきっかけに、皇后の誕生日の3月6日を母の日と定めました。
この頃の日本の母の日は、今のように5月ではなかったんです。
当時の母の日はそれほど国民には普及していませんでした。1913年に青山学院で母の日礼拝が行われ、アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされています。
大日本連合婦人会が1931年(昭和6年)に結成され、その際同組織は皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としましたが普及しませんでした。
そして1973年(昭和12年)お菓子メーカーである森永製菓が「森永母の日大会」と称して、大々的な告知行い広めたことで全国的に認知され、母の日は各地に広まっていきました。
また、1949年ごろからはアメリカの例にならって5月の第2日曜日に行われるようになり、これが一般的となりました。もっと古くからあるイメージの母の日ですが、実際に日本で広まったのは最近の事なんですね。
アンナ・ジャービスのように思いを大切に、母親への感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。
※日本石材産業協会では、「母の日」は“母に会う日”と題して、「母の日参り」キャンペーンを応援!
先の別コラムでご紹介していますので、そちらも併せてご覧ください。
Posted by
よしさん
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00:14
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2019年 今日は何の日